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【しごとコレクション】

自分に合いそうな仕事・興味の湧く仕事を集める

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屋根瓦職人

おにざわ えいじ

鬼澤 栄史さん

28歳・石岡第一高等学校出身

  • 2次産業
  • Hope Vol.7
  • 屋根瓦職人
  • 建設業
  • 男性
  • 茨城県南

確固とした責任感と誇りが、言わば「職人の土台」を支えている。

取材者からの紹介

瓦屋の若き3代目として働く鬼澤さん。取材当時、訪問した石岡の町中は震災の爪痕らしきブルーシートが掛かった屋根が多く見られる状態だったため、日々仕事に追われ心身共に疲労困憊な状態なのでは…と伺いましたが、それも杞憂に終わりました。非常事態にも無駄に焦ることのない職人ならではの冷静でしっかりした対応で、「どのくらい経てば一人前になれるか」と尋ねた際の「自分で決めるものではないですから」という謙虚な返答がとても印象的でした。

学生時代の経験が今に活きる

高校のときは部活一筋。3年間を弓道に費やして集中力などの精神面、いわゆる「静」の部分でさまざまなことを学びました。この仕事は高所での作業のため、集中力が必要になります。そうした面で、部活で身に付けた力は今に活きています。

高校を卒業してからは、1年くらい愛知県にある専門学校に通いました。自分の家が瓦屋だったこともあり、他の職業に就こうと考えたことがなかったので、進路に迷いはありませんでした。専門学校では瓦の名前だとか屋根の形だとか、基礎基本の勉強に加えて現場での実習もあったので、やることが今よりも多くて忙しかったですね。

現場に出てすぐの頃は、正直つらかったです。作業は屋根の上なので、熱くて足の裏が痛くて仕方なかった。普通の道も歩けないぐらい。段ボールのような遮熱するものを置くのですが、10分膝をつくだけで火傷して水ぶくれになるんです。特に夏の現場は過酷で、つらくて仕事に来なくなってしまう人も多い。ただ、そうした仕事のつらい部分は2年くらいで慣れました。足の裏も随分硬くなり、力もついて疲れなくなりました。一番つらい夏も1回乗り越えられると、その後はぐっと楽に感じましたね。

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いっぱい遊んだ学生時代

社会人になっても意識や心がけは変わらない

専門学校を卒業してからは、家に戻ってきて父親の元で仕事を覚えました。最初はやはり親子なので、言い合うこともありましたね。でも逆に、はっきり言ってもらえるからこそ学べることも多かった。言わないよりは、言い合って学んだほうがいい。ただ、同じ瓦屋でもやり方は人それぞれ。専門学校があった愛知と茨城でも多くの違いがあって、最初は戸惑いました。しかもやり方だけでなく、実は県によって瓦や工法の呼び方まで違うんです。だから戻ってきてから勉強し直したことも随分あります。専門学校のときから現場に出ていたので、社会人になってから意識や心がけといった部分では、特に変わっていません。現場での責任感、たとえば雨漏りのないように丁寧に作業するといったことは、学生時代から既に心がけていたことですから。

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今日の工程を再確認

職人だからこそ分かる違いは、経験を積んでこそ

手に職を持っているというのは、誇りですね。誰もがすぐにできる仕事じゃない。見よう見まねでもできたように見えますが、それはただ瓦を「乗せている」だけ。自分たちがやっているのは「施工」。その違いは経験しないと分からない、職人ならではのものだと思っています。

もちろん職人の勘も必要です。屋根のほんの少しの歪みに合わせたり、雨の流れに合わせたり。その現場に合わせた施工方法は何年か経験を積まないと分からない。自分も最初の頃は上手くいかず、雨漏りすることもありました。でも失敗しないと覚えられないですからね。経験と、そこからの予測。そして他の現場へ手伝いに行くことがあれば、見て勉強する。自分たちがやっていない方法に出会うこともありますから、良いものはどんどん取り入れます。

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屋根は人から一番見える場所、そして長く残るもの

屋根が完成したときは素直に嬉しいですね。ふと昔の作業現場を通りかかったときは、忘れていた記憶が蘇ってくるような気持ちにもなります。屋根というのは修復さえしていけば半永久的に残るし、人からも一番見える場所。特に大きな家や文化財は、長く残るものなので達成感が大きい。特に思い出に残っている作業現場は仙台の五重塔。専門学校時代に初めて瓦上げしたところなんです。そのときは屋根には上がりましたけど、本格的な作業はしていません。でも決して嫌だとかつまらないとは思わなかった。先輩の作業を見ることも一つの勉強だし、たとえ材料運びであっても、そこで自分が作業をしたということに変わりはないですからね。

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屋根からおりてホッと一息

自分にやれることを一つずつ、という意識に変化はない

東日本大震災の前は、新築や上の棟の取り直しが仕事の大半を占めていました。それが震災後は復旧作業に追われている状態です。とりあえず屋根にシートを張ることで精一杯。夏の台風でシートがめくれてしまったところもあって、なかなか作業が追い付かないんです。本来、瓦は強風とか余程のことがない限り割れたりはしないのですが、さすがに今回の震災では多くの被害が出ました。修復作業は施工し直す前に、屋根に散らばっている瓦などを片付けないといけないので、大変ですね。きれいにはがして、要らないものは処分して。1日では終わらない作業です。屋根が壊れたことで困っている人はたくさんいる。自分の中にも、少しでも早く直してあげたいという気持ちはあります。ただ、どうしても手が回らないのが現状。それでも焦らず手を抜かず自分のペースで、できることを一つずつやっていきたい。震災の前でも後でも、その意識は変わっていません。ただ、今は待っている人がたくさんいる一方、震災から復旧すれば仕事は確実に減ります。後継者不足も深刻な問題。茨城の瓦組合でも、一番若いのは自分と、同い年のもう一人だけです。自分たちの下の世代が増えて、このまま定期的に仕事があること。それが今の願いです。

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どんな作業も気は抜けない

先輩上司から一言

計画的に先を考えていかないとできない仕事です。どんなに腕のいい大工さんがやっても、木の状態でどうしても波打つ時もある。平らな家ってないんですよ。ただやればいいわけじゃなく、それを目立たなくするのも私たちの仕事。それに、仕事の仕方を覚えないと、手は抜けないんです。きちんと技術を身に付けた人が手を抜くというのは言えることであって、技術を持ってない人は手を抜く前に、仕事ができないということですね。だから手を抜けない。確かな技術を後世に受け継いでいってほしいと思います。

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