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【The TOP ~社長の仕事~】
社長って普段どんな仕事しているの?
株式会社 関川畳商店 代表取締役
せきかわ けいいち
関川 恵一さん
常総学院高等学校~埼玉県畳高等職業訓練校出身
- 2015年
- 2次産業
- 男性
- 畳製造
- 茨城県央
会社の成り立ち!全てはお客様の声に応え続けて
関川畳商店は、昭和2年に祖父が町の畳屋としてはじめ、創業90年になります。伯父と父が法人化し、現在の「株式会社関川畳商店」となりました。
昭和55年頃からは、畳以外にも、和室に関連して障子や襖の張替を行うようになり、やがて時代の生活様式の変化に伴い、壁紙クロスの張替などの内装工事、大工工事のご要望も増えてきました。現在では、水廻り工事、屋外工事など幅広く承っております。これらの増改築やリフォーム工事はもともと、畳替えでお家にお伺いさせていただいた時に、お客様の発案と言いますか、ご要望にお応えした結果です。和室で畳が新しくなるついでに「ここも直したい」と思われるお客様は多く、お客様の、そのような声に応え工事を行っていくうちに、今では家に関する工事は何でも承れるようになりました。
畳は、自社工場で作業を行っていて、商品や製造にこだわりを持っています。畳といえばイ草を使用した物が主流ではありますが、ホテル、旅館、飲食店等の施設や新築した際の若いお客様の間では、樹脂や和紙を使用した畳も増えてきています。洋室に置いて便利性デザイン性を楽しめる「置き畳」という物もあります。多様化するニーズに応え、一般のお客様にもハウスメーカー様にも信頼され喜んでいただける丁寧な仕事を心がけています。
洋室の普及により和室が減ってきている昨今ですが、畳の良さを感じてもらえたらと、小学校や地域の催事などのイベントに出向き、ミニ畳作りのワークショップも行っています。
会社のこれまで!周りの人に助けられての成長
私は、父の強い希望もあって、高校卒業後に畳の専門学校で技術の修得をして、関川畳商店に入社しました。会社は伯父が社長であり、父は職人として工場長として会社経営をしていました。主に営業や経営全般は伯父が行っており、私もやがては、社長である伯父にそのノウハウを教わり少しずつ会社を継承していくものだろうと思っていました。
しかし、その伯父が病に倒れ急逝したたことで、様々な準備もないままに、父、弟、そして私の家族にて会社の舵取りをする事になりました。当時、私は、社会人としての経験も浅く、営業の仕方や銀行等との折衝の仕方もわからず、会社を引っ張っていく自信はありませんでした。そんな中、父が当面の代表取締役を担ってくれ、弟は会社の中でサポートをしてくれました。また、地元の商工会や青年会議所で知り合った様々な異業種の方々から営業方法や銀行等との関わり方を教えていただきながら、その他にも多くの人の力も借りて、少しずつ経験を積み、成長することができました。本当に沢山の周りの人に助けられました。人には恵まれて感謝しています。
今後のこれから(展望)!社員全員分の器で
普段から向上心を持って仕事に取り組んでいくことが大事だと考えています。器に水を入れる時、器以上に水が入らないように、経営も器以上の事をやろうとすれば、経営に無理が出てしまいます。もし、従業員それぞれが向上心を持って「会社を大きくしていこう」「盛り立てていこう」と考えて行動してくれれば、社長の私の器以上の大きな器となり、会社は成長していけます。トップダウンだけでなく、ボトムアップで下からの意見を取り入れ、社員が、よりイキイキと働ける職場環境を作っていきたいと考えています。
このような形で社員全員の力をもって、さらに会社を大きくしていこうと考えています。現在、茨城県内に4店舗展開していますが、近年中に他県への出店を目指しています。
私(社長)の役割!情報収集から運搬までの“何でも屋”
普段は社長として取引先であるハウスメーカーや工務店、銀行を訪問して建設業界の動向や今後、営業に伺おうとしている企業さんの経営状況や企業間のつながりの有無など、主に情報収集や商談をしていることが多いです。立場上、スーツを着て出かけることもありますが、作業着を着て、工場内で作業することもあります。
また、時には畳表の原料であるイ草農家や同業他社の畳店さんへ現地視察に行くこともあり、先日は沖縄への出張でした。沖縄の畳店さんの経営のやり方や、沖縄にもイ草農家があり沖縄のイ草は、太さが異なり、編み込んだ際の目立ちがゴツゴツしています。このように地域によってのイ草の作り方や編み方違いがあるので、そういった情報を学んで自社で活かしています。また、同じ畳を扱う会社としてどのような経営をしているのかであったり、さらには、経営のみならず社員の福利厚生や取り組みなども参考にしているところです。